発するエネルギーと、訴えたい何か。

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エネルギーの高い人は無条件にそれだけで全てがうまくいく。

何か物事を頼んだり、仕事を任せたりするのはエネルギーの高い人に頼むのが一番だなとつくづく思う。

でも面白いことにエネルギーは摩耗するごとに低下していく。
自己生成型の人間はエネルギーが無尽蔵じゃないか?と思うくらいエネルギー値が高い。

でも、誰でもいずれはエネルギーが低下していきます。

では自分は?と振り返ったとき、やはり同じ。
ずっと無敵のハイパワーを持続することなんてできません。

内発的な/外発的なモチベーションを問わず、持続させるには自分からエネルギーの根拠を作り出さないと無理です。(内発的なもののほうが長く続くことが多いと思います)

で、ちょっと昔のことを思い出しました。

「若いころってすごいよなー」って。

中学生・高校生の時は無限のエネルギーがあったなぁと感じません?

途方もないくらい無軌道でも、それ自体がもはや無限の可能性ですよね。

僕らの世代は、たぶん中高をGLAYを聞きながら育った子が多いんじゃないかと思います。
カラオケブーム全盛時代ですから学校が終わった後はカラオケへレッツゴー!×365日みたいな勢いでしたよね。笑

GLAY HOWEVER

おっと間違えました。
偶然見つけてしまって爆笑。

このおっさんの途方もないエネルギーに愕然としました。

本物はこちら↓

当時食傷気味なくらい聞き込んで飽きていたような記憶がありますが、大人になった今に聞くと逆にものすごく新鮮ですね。

先日の小室騒動のときにも思い出したように小室哲也ソングを聞いてみましたがやはり、90年代というのは黄金J-POP時代だったのだなぁと感じました。

すごくマス的なんだけど、まだまだ歌が時代を作ることができた。
メッセージも、作り手としての「らしさ」もすごくあった。

グローバリゼーションだとか、多様性だとか、個の尊重だとか、そういう言葉が日本の中にムードとして万延していて、それに伴って、音楽に求められるものも、表現されるものも、その音楽の背景も、すごくすごく多様化していたんですよね。

だから90年代の音楽を聴くと「すごく主張しているなぁ」って感じます。
色々な色、言葉、主張がある中で「おれたちの音を聞け!」っていう主張。
俺達を見ろ!っていう。

ああいう雑然として、前代未聞に答えが見えない時代に一番叫んでいたのは、政治家でも、教師でも、作家でも、画家でもなく、間違いなくポップミュージックのアーティストたちだったと思います。

最近はすごく手を抜いた曲が昔以上に増えましたし、最近の歌謡界はウォッチする興味すら湧きませんが、それでもまた10年後、20年後に振り返ったときに「ああ、あの時代も今思うとよかったなぁ」と感じるのかもしれません。

少なくともやはり人間は、自分が育った時代、生きた時代から受けた影響力の呪縛からは永遠に解放されない生き物なのだと思います。

少なからず、いや、相当多くの人間形成的要素を流行カルチャーから受け取ってきたもので成り立っているのではないかと思います。

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